2024年10月20日、河村勇輝さんがNBAグリグリーズとツーウェー契約を発表しました。
河村さんは、バスケットボール日本代表としてパリ五輪などで活躍。
フォーブスジャパンの「世界を変える30歳未満の30人」にも選出されたことのある、今後のバスケットボール界をけん引する選手です。
そんな河村さんですが、バスケットボールとの出会いに父が大きく関わっていました!
そこで今回は、河村勇輝さんの父を始め、母と兄弟(姉妹)の家族構成などを調査。
また、家族とのバスケにまつわるエピソードも調べました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
河村勇輝のwikiプロフ&経歴
家族の話題に入る前に、河村勇輝さんのプロフィールと経歴に軽く触れておきます。
プロフィール
- 本名:河村勇輝
- 読み方:かわむら ゆうき
- 生年月日:2001年5月2日
- 年齢:23歳(2024年7月現在)
- 出身地:山口県柳井市
- 身長:172cm
- ポジション:ポイントガード(PG)
- 所属:横浜ビー・コルセアーズ
経歴:小2でバスケに出会う
河村勇気さんは、幼いころから運動が大好きで、野球や水泳、柔道もする運動大好き少年でした。
また、相撲大会で優勝した経験もあります。
「とにかく落ち着きがない子供でした」幼少期は広島東洋カープを応援する野球少年だったが、常に動き回れる競技特性が合っていると感じ、バスケットボールに転向した。
河村さんは、このようにバスケットボールを始めたきっかけについて語っています。
ちなみにポジションはポイントガード(PG)。
人気マンガ「スラムダンク」の宮城リョータと同じポジションで、スピードと運動量、コート全体を見渡せる幅広い視野によるパスワークとセンスが求められます。
市立柳井中学校では、全中ベスト16。
高校は福岡第一高校へ進学し、全国大会では4度の優勝とウインターカップ2連覇の栄冠に輝いています。
2020年4月東海大学へ進学し、バスケの技術を磨きます。
- 2020-21シーズン新人賞ベストファイブに選出。
- 大学2年の関東大学リーグ戦では優秀選手賞とアシスト王を受賞。
- 同年インカレでは東海大学のメンバーとして準優勝。またアシスト王を受賞した。
- 2022年2月7日に第19回アジア競技大会の男子日本代表候補選手に招集。
- 2022年3月3日には、東海大学の中退し、横浜ビー・コルセアーズと特別指定選手契約の2021-22シーズン終了まで延長。
- 上記と同時に、2022-23シーズンのプロ契約締結を発表。
- 2022-23シーズンはBリーグMVP、ベストファイブ、新人賞などを受賞した。
- 2024年8月23日、「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2024 Audi特別賞」を受賞。
- 2024年開催のパリオリンピック日本代表として、20.3得点、7.7アシストなどの平均スタッツを記録。
得点でグループ5位、アシストで2位に輝いた。引用:Wikipedia
NBAツーウェー契約を発表
NBA挑戦中の河村勇気さんが10月20日、グリズリーズとツーウェー契約を勝ち取ったと発表。
河村さんがNBA出場を果たせば、田臥勇太、渡邊雄太、八村塁の3選手に次ぐ4人目の快挙になり、注目を集めています。
過去には、渡辺雄太さんがグリズリーズとツーウェー契約を結び、NBA出場を果たしています。
河村勇輝は父親・母親・姉2人がいる5人家族の末っ子
河村勇気さんは、山口県柳井市生まれで5人家族の末っ子です。
家族構成
- 父親
- 母親
- 姉が2人
- 長男:河村勇輝
ご両親から順に見ていきましょう。
河村勇輝の父と母はともに教師
河村勇輝さんの父親は、吉一(よしかず)さんというお名前です。
年齢は2023年で62歳と紹介されているので、2024年は63歳になる年です。
また元中学校教師で、勇輝さんが市立柳井中学校に通っていたころは同じ中学校でバスケ部顧問もしていました。
勇輝さんにバスケの楽しさを教えたのは、父・吉一さんです。
父自作の練習場が自宅にある
勇輝さんが本格的にバスケを始める前から、自宅の広大な庭に父が自作のバスケットゴールがあったそうです。
父と同じリングに向かってシュートの練習をして育ちました。
広大な庭ではあったが、すぐ外には田んぼが広がっていた。
ボールが大きくバウンドすると、田んぼに落ちてしまうことがある。
それでは困るだろうと、吉一さんは自家製のネットや、好きなだけバスケに打ち込めるように家庭用のナイター設備も作ってくれた。引用:Number Web
雨が降るとブルーシートをかけ、シートを撤去するとすぐ練習できるようにと配慮もしてくれていたようです。
小学生も高学年になり、ますますバスケにハマりだした勇輝さん。
6年の時には自らに1000本のシュート練習を課します。
「体育館だけではなくて、あの庭でバスケをしたことが、自分の今までのバスケ人生のなかで基礎になっているんじゃないかな」
引用:NumberWeb
と、インタビューで語っています。
自主性を重んじる父と母
父と母は、息子・勇輝さん自身の考えを常に優先することを大切にしていました。
高校進学時、バスケの強豪校「福岡第一」から誘いが来た時のこと。
レベルの高い地方の高校へ行くか?地元で普通の高校生として現実的な選択をするかで迷っていました。
結果として、福岡第一への進学を決めた息子に両親は言いました。
「勇輝が出した結論が一番だし、何より、勇輝の人生は勇輝自身のものだ。勇輝の出した決断をサポートするよ」
引用:asicsオフィシャルサイト
また、インタビューの中では「地元の進学校に通ってほしかったかもしれません」と両親の本心も語る勇輝さん。
父は現在、身近でサポートに専念
河村勇輝さんの父・吉一さん。
教員を退職した現在は、息子を身近でサポートすることに専念しています。
「教員を退職してからは勇輝のマネジメントというか、手伝いをしています。W杯中はオーストラリア戦まで現地・沖縄で応援していましたが、特別な声掛けやアドバイスすることはありません。
見守るだけです。
引用:日刊ゲンダイ
また、インタビューの最後には息子へのメッセージを込めた言葉で締めくくっていました。
お陰様で勇輝のプレーが注目を集めていますが、そこまで多くの方に支えられてきたことを忘れないでやってほしいですね。
引用:日刊ゲンダイ
優しく見守る父、息子を律することも忘れていません。
河村勇輝の姉は高学歴!
姉はすごく勉強をやっていて、今は早稲田大学を卒業しました。
引用:BASKET COUNT
姉についてこのように答えていました。
二人の姉のうちどちらの姉かはわかりませんが、教師の両親の元育った姉妹はどちらも頭がいいと推測できます。
両親が教師をしていたこともあり、家の方針は「勉強第一」でした。
スポーツや部活はあくまで勉強の「付属」なので、勉強をおろそかにしたことはありません。
バスケットボールに打ち込みつつも、勉強第一でがんばってきました。引用:ママスタ
このようにインタビューに答える勇輝さん。
また、当時のことをこのように振り返っていました。
「部活動で日本一になることでなく、バスケと勉強を両立することが目標でした。姉たちが通う地元の進学校に入って、教育系の国立大学に進学して、体育の先生になりたいと思っていたんです」
引用:asicsオフィシャルサイト
少年だった河村勇輝さんは、将来バスケで日本を代表する選手として活躍することなんて夢にも思っていなかったでしょうね。^^
河村勇輝の家族とエピソード、最後に
今回は河村勇輝さんの家族構成や家族とのバスケエピソードについて調査しました。
父と母は教員で、勉強熱心な家庭に育ちました。
兄弟は姉が二人で進学校へ進み早稲田大学を卒業するハイスペック一家。
そんな家庭でそだった勇輝さんは現在、父のサポートの元、バスケットボールの道をつき進んでいます。
NBAのコートで活躍する河村勇輝さんの姿を見るのが楽しみですね!