松中信彦さんは、低迷していた福岡ダイエーホークス時代から19年間、ソフトバンクホークスの躍進を支えたレジェンドプレーヤーです。
そんなホークスの功労者が、指導者にならないのは、性格が悪いせいでは!?と噂になっています。
そこで今回は、松中信彦さんの性格に焦点をあてて調査。
その根拠となったエピソードなども紹介します。
ぜひ、最後までお付き合いください。
松中信彦のwikiプロフ&経歴
まずは、松中信彦さんのプロフィールと経歴に軽く触れておきます。
- 名前:松中信彦
- 読み方:まつなか のぶひこ
- 生年月日:1973年12月26日
- 年齢:50歳(2024年10月現在)
- 出身地:熊本県八代市
- 身長:183cm
- 投打:左投げ左打ち
両親と兄(3つ上)、弟(5つ下)の5人家族で育ちます。
小学校4年生の時に、野球クラブへ入団、投手と一塁手を務めました。
八代第一高等学校(現・秀岳館高等学校)時代は、1991年春季九州大会予選の決勝で東海大二高に敗れ、甲子園出場はできませんでした。
新日本製鐵君津へ入社後の1996年には、アトランタオリンピックで活躍し、銀メダル獲得に貢献します。
1996年、福岡ダイエーホークスへ入団。
2004年のレギュラーシーズンには、平成唯一の三冠王に輝くなど、2015年までの19年間、低迷していたホークスの躍進を支えたメンバーの一人として活躍しました。
引退後は、四国アイランドリーグplus「香川オリーブガイナーズ」のGM兼監督として活動。
また、これまでの野球経験や知識を活かして解説者や、選手育成や組織論などの講演活動も行うなどマルチに活躍しています。
2021年には、千葉ロッテマリーンズの臨時打撃コーチも務めました。
野球以外では、2023年から日本ハンドボールリーグの理事も務めています。
松中氏は現役を退いた後、プロ野球解説を行いながら、21年のロッテ春季キャンプでは臨時打撃コーチを務めた。
野球に携わる一方で、長男が始めたハンドボールの魅力に目覚め、19年に福岡市を拠点としたハンドボールのクラブチームを発足させている。
20年から同リーグの公認アンバサダーに就き、ハンドボールの普及に努めてきた。
松中信彦の性格が悪いと言われる理由3選!
松中信彦さんの性格が悪いと言わる3つの理由をまとめました。
理由1:交流戦の優勝セレモニーをボイコット
松中信彦さんは、2013年の交流戦での優勝セレモニーに参加しなかったことで、チーム内での評価が大きく揺らぎました。
これは、2013年6月13日のヤクルト戦での出来事です。
8回に代打として起用された松中さんは、タイムリーを打って活躍。
そのまま、福岡ソフトバンクホークスは優勝を決めます。
ただ、その後に行われた優勝セレモニーに参加をボイコットし帰宅!
チームを盛り上げ、けん引する立場にある松中さんのこの行動に、チーム内ではぎくしゃくしたムードが漂います。
松中信彦さんは、ボイコットした理由をこのように語っています。
1打席1打席、打てなかったら引退という思いで1軍に上がってきて、たとえ10点差でもどんな場面でも行くと決意でいた。『ない』と言われたので、準備せずに行くことになった。プロ17年間、しっかり準備する気持ちだけは欠かさなかった。そこは譲れない部分だった。
理由2:ソフトバンクホークス引退会見での発言
2015年、19年間ホークス一筋だった松中信彦さんはユニホームを脱ぐことを決意します。
もし違うチームで対戦することがあれば、倒しに行きます!
この言葉について、各メディアでは「挑戦的な言葉」「王会長に反旗を翻した」と言われ、批判的にとらえられました。
この言葉の真相について松中さんは後に、このように語っています。
どこも管理や規律が多くなって、少し息苦しい雰囲気になっています。それはホークスも同様です。
チームの強化には正しい道かもしれませんが、野球には球場を沸かせる選手やプレーが必要じゃないですか。
そこで、それまで良くも悪くも自分を通して生きてきた僕が、きれいごとではなくて素直な気持ちを言うしかないと思いました。
ホークスが大好きだからこそ、スタッフにも、チームメイトにも何かを感じてほしかったんです。
言葉足らずで誤解を招いたかもしれませんが、王会長やホークスに反旗を翻そうと思ったわけではありません
ホークス愛にあふれる思いからの素直な言葉だったようですね。
ネットやSNSでは、ファンからの感謝と19年間の選手生活をねぎらう言葉が多く投稿されました。
理由3:野球の指導者として声がかからない
松中信彦さんは、「平成唯一の三冠王」という実績を持ち、低迷するホークスを主力選手の一人として、優勝常連チームに引き上げたという功績があります。
にもかかわらず、指導者に起用されない理由に、性格の問題から球団関係者から声が掛からないのではないか?と言われています。
松中さんは、過去に自らの意見を強く主張し、周囲との摩擦を生むことが多かったため、指導者としての適性が疑問視されています。
育成契約を考えない発言など、自己中心的な態度がファンや関係者の不安を招き、結果として指導者としての道が閉ざされてしまったと考えられます。
松中信彦が性格悪いと噂されるのは、勘違い!?
松中信彦さんは性格が悪いという噂があるという内容で調査を開始しました。
その結果として、松中さんは。
- 男気があってまっすぐな性格
- 豪快で自分が正しいと思うことを貫くタイプ
- 自己主張が強く、感情的
この性格と言葉足らずな面も重なり、性格が悪いという印象を与える結果につながりました。
その反面の性格を物語るエピソードも3つ紹介します。
1.繊細な性格
松中信彦さんは豪快である反面、繊細な性格でもあると自身で語っています。
僕はけっこう繊細で(笑)、メディアから批判されたり、球場でヤジられたりすると気になるタイプなんです。
引用:bunshun.jp
この人間味あふれる性格に、多くのファンが親近感を感じているようですね。
2.勉強熱心な性格
松中信彦さんは、勉強熱心としても知られています。
アトランタ五輪の銀メダル獲得に貢献し、鳴り物入りでホークスに入団した直後。
金属バットと木製バットの違いに苦しめられました。
二軍生活を送りながら、打撃の仕組みからフォームまでを徹底研究したといいます。
また、打撃不振のときには大好きなお酒を制限して、自身の肉体改造に着手。
研究を重ねた結果「固定概念を捨てたことでスイングが柔軟になる」「ライトへ引っ張るだけでなくセンター方向へ流すこともできるようになった」と語っています。
引退後も指導者として、勉学に励んでいるようです。
3.後輩想いな性格
松中信彦さんは、後輩想いとしても知られています。
そのことを同じソフトバンクホークスでプレーし、現在ヤクルトスワローズで活躍する嘉弥真投手が語っていました。
意外と後輩思いなところもあって。バッティング理論なんかを話し出すと、後輩が理解するまでとことん付き合ってたし。
教える事が好きだし、伝え方も上手でした。
また40歳を過ぎた時期の二軍生活では、自身は一軍復帰を果たしたい気持ちと、後輩のために席を譲るという想いから葛藤を覚えたとも答えています。
最後に|松中信彦の性格!?
今回は、松中信彦さんの性格について調査しました。
確かに素行が悪い行動が目立つ時期があり、他人に迷惑を掛けたことも事実です。
それは、自身の信念を曲げないことや意思を貫いた結果の行動でした。
言葉足らずで、ぶっきら棒なところはありますが、熱血漢があり後輩想い。
それに、野球に関する情熱は今も煮えたぎっているようです。
そんな松中信彦さんのこれからの野球人生も見守っていきたいですね。